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大韓航空機撃墜事件の疑問(シフリンレポート)

大韓航空機撃墜事件の疑問

 

007便に生存者あり、ロシア強制収容所に抑留中、マクナルド米国下院議員はモスクワ のルビヤンカ刑務所に収監中。
此の報告書の著者はA・シフリンなる人物。住所はイスラエ
ル国エルサレム市91235ラモン私書箱23678号。
A・シフリンの肩書はソ連刑務
所・精神刑務所・強制労働収容所調査センターの理事。報告書の共著者の名前もE・シフリンとあり、肩書は事務局長になっている。
二人は家族か兄弟なのだろう。

 前書きにはこう書いてある。「以下は1983年樺太沖で撃墜された太韓航空ボーイング 747型機(007便)と、其の乗員乗客の不可解な消失に関するCIAの暗号文極秘報告 書を分析したものである。」

 二人の報告書を紹介するのは、米国のキリスト教団が発行元の機関新聞『ミッドナイト・メッセンジャー』紙。報告書掲載日は94年1・2月号となっている。

 89年以降からこの事件の犠牲者(行方不明の乗客ら)について追跡調査を続けてきた彼 等(調査センター)は、90年になってある確証を得たという。

 

  その大韓航空機はソ連空軍機が発射した二発のミサイルで大破して海中に沈んだのではなくて、樺太に近いモネロン島付近の浅い海に軟着水させられた。

  乗客(この中には米国下院議員ローレンス・P・マクドナルド氏も含ま

れる)と乗員はソ連 軍沿岸警備隊の手で洋上に浮かぶ機体から連行

された。

 

 この情報はシフリンらのソ連の地下情報網から得たもので、事件のほぼ「完全な実態」を 掴んだシフリンらは、米国上院議員のジェシー・ヘルムズに連絡、調査結果を伝えている。

ところがヘルムズ議員が反応してきたのは、90年11月、つまり6ヶ月もたってからだっ た。更にヘルムズ議員らは、情報の詳細を求めてくるものの、それを求めるまでに又1年を 要した。シフリンは半ば呆れている。

 91年5月にようやくヘルムズ議員がシフリンらを訪ねる。議員側近の幹部3人も同行し てきた。J・ルシエ博士、D・サリバン氏、V・フェディ氏。シフリンらはソ連から証人を 呼び寄せ、ヘルムズ議員らの質問に答えさせた。証人らが宣誓書にサインして供述した証言 にヘルムズ議員は納得した。
大韓航空機007便は大破せず、乗客全員は無事生存している
事を裏付ける「圧倒的」証拠が揃ったとヘルムズ議員らを認めた。

 シフリンはこれらの調査結果を提供するかわりに、ソ連が乗客を誘拐同様に扱った事態を 米国上院公開聴聞会で取り上げる事、並びに米国政府による徹底調査を実行するよう「依 頼」した。ヘルムズ議員ら1行は、シフリンらの依頼に賛意を示したものの、実際にその依 頼の結末を得るまでには再び相当な時間がかかった。
ヘルムズ議員らの返事は、絶えずまち
まちで「ただいま、大統領宛の特別報告書を作成中につき、今しばらく待って欲しい」とす る返答ばかり。

 

 91年6月、D・サリバン氏から、先般の証拠資料がCIAと国防省で正しい証拠として 確認された旨の連絡がシフリンらに届いた。シフリンらはこの連絡ぶりに不信感を抱いてい る。
シフリンらはヘルムズ議員らに対して証拠の全てを渡してはいなかったようで、その事
が逆に全てを知る米国当局の不信感を生んだとする記述を報告書に書いている。そして、   我々がいずれ世間に暴露するのを米国当局は恐れたようだ。・・・

  だから米国政府は我々の先手を打って、対抗措置を取るようソ連側と合意したのは間違  いない。  

 とシフリンらは言う。

 凄い話である。なぜなら、米国とソ連が実は裏側でしっかりと繋がっている構造をシフリ ン等は承知の上でクレームをつけているからだ。
それに両大国も又手を取り合って民間人シ
フリンに「対抗」している様子が伺える。ベラスコの言う「良心的な歴史観」の強さをシフリンらは当然のように心得ているのである。米ソ対決とか冷戦構造が実在したと本気で信じ てきた人々には、気の毒なくらいのシフリンらの行動ぶりである。
ベラスコやシフリンらは
米ソ対決構図も「両建て主義のまやかし対決」として全く興味も幻想も抱いていない。

 90年12月、シフリンらに追い込まれたソ連の政府機関新聞『イズベスチャ』紙が、ま ず単発記事(007便事件)を掲載した。事件記事の掲載を、シフリンは「極めて異常だ」 という。
というのは、その記事はソ連政府の失態を批判したもので、その内容は大韓航空機

の領空侵犯を非難しながら、機体を海底に横たわっていて、乗客は全員死亡したと断定して いながら、しかしその事実を世界に公表すべきだとソ連当局に提案しているからだ。イズベ スチヤ紙は提案論拠を、あのカチンの森の大虐殺に関与した旧ソ連が後年になってポーラン ドに謝罪したその度量におき、だからこそソ連は過ちを素直に詫びる事の出来る大国だとい う論旨に、シフリン等は異様さを覚えたというわけだ。

 ただし記事は、「無傷で海底に横たわっている機体」をいつのまにか「バラバラに大破し た機体」にすり替えている、シフリンは怒る。

 「ソ連は269名の乗客に死を宣告したまま、その家族に釈明さえしていない」と強く政 府を非難するイズベスチャ紙は、91年から「事件」の本格的な連載を25回シリーズでは じめた。

 記事は同紙独自の調査によるものとされ、その調査内容はシフリンが未入手の新事実も多 数あった。むろん偽情報も混じっていたし、ソ連政府の公式見解を真っ向から否定する証言 も含まれていた。フライト・レコーダーがソ連側に回収されていたのは既に明らかだったに も関わらず、米国、韓国それに周辺国政府が、フライト・レコーダーを韓国に返還せよと抗 議するわけでもない。
せめて「最後の30秒間だけでも聞かせろ」などと注文をつける事も
なかった、と関係西側諸国の不甲斐なさをなじっている。

 シフリンらはソ連の態度を西側政府が知り尽くしているから返還要求を断念したのだろ う、とたかをくくっているソ連の態度を許さない。
シフリンらの地下調査網は調査を継続し
ながら、決定的な証拠を入手していった。例えば、乗客は救出された後強制収容所に連行さ れた、KGBは米国の防衛事情を尋問する為にマクドナルド下院議員をモスクワのKGB中 央刑務所(ルビヤンカ)に拘置した。などなどの情報が集まった。

 

 シフリン等の堪忍袋の緒が切れた。91年になってもヘルムズ上院議員等は約束を果たさ ない。上院公開聴聞委員会の件も政府の対ソ交渉の約束も音無しのままだ。堪忍袋の緒が切 れたシフリン等は公開を決断した。だが、シフリン等の行動は失敗する。91年7月11 日、エルサレムで記者会見を開いたシフリンらの元へ集まった記者は一人もいなかった。
見開始の一時間前に正体不明の何者かが会見中止を報道機関にふれまわった為だったこと が、後に分かった。

 即座に発表すると約束する記者らに資料を配布したが、全ては無駄だった。資料を掲載発 表した報道機関はなかった。シフリンは、ある米国記者の例を非難している。それは女性記 者ウェイマスの態度についてだが、彼女はヘルムズ議員の紹介で來たワシントン・ポスト紙 の編集者。

 この女性記者はシフリンらを三時間インタビューして資料を米国に持ち帰った。その取材 目的は、 「なぜ米国政府が反応しないのか。その疑問を解く詳しい記事を書く為だ」と説明した。
の後ポスト紙に何も書かれていないのはいうまでもない。

 

 

●ソ連に一杯食わされたCIA

 1992年秋、「世界の報道機関」に韓国の野党党首ソン・セ・イル氏の声明が配布され た。氏はその声明で007便の乗客全員がソ連の強制収容所に収監されたとする強い証拠が ある。と述べた。
声明を報じた世界の多くの新聞社は、当事件を綴ったCIAの報告書のカ
バー写真を同時掲載して、声明の信憑性を裏付ける工夫をした。

 シフリン等もソン・セ・イル氏から78頁にわたる報告書を入手、分析検討したうえで、 次のような結論を下した。
ソン氏が得ていた報告書は、イズベスチャ紙が調べた最初の部分
と、シフリン等の調査資料でつくり上げたものだとわかった。つまりシフリン等が91年6 月に作成してCIAに渡した直後の報告書であった。シフリン等が驚いたのは、事件直後の

1983年9月の段階で、CIAは既に乗客全員が救出され、ソ連国内の収容所に送還され ている事実を掴んでいたのを認めていた事だった。

 驚きと憤慨が相半ばするシフリンらは追い打ちをかけられる。米国の新聞が国務省筋の談 話として、「我々はシフリンよりエリツィンを信用する」と紹介したのだ。

 シフリンらはCIA報告書をつぶさに検討した。一番知りたいのは1983年9月以降に CIAが掴んだものは何か、だった。特に重要な点は、米国政府がゴルバチョフとエリツィ ンを信用した(信用したよりも画策をした!忍)なんらかの証拠を突き止める事だとシフリ ンらは考えた。

 1 CIAは事件発生と同時に日本列島の北海道北端の稚内にある陸上自衛隊レー

  ダー基地が傍受した007便の交信記録を入手した。

   同時にソ連のレーダー基地からも同様の交信記録を受け取っていた。両方の記

  録は共にKAL007便の攻撃された後の飛行経路を、少なくとも12分、つま

  り高度3万500フィートから機体がゆっくりと下降しながら0ポイントに至る

  までを追跡記録していた。

 2 CIAはKAL007便の機長が、攻撃を受けた直後の3分間以内に「東京成

  田管制塔」と交わした最後の無線通信で一万フィートまで降下すると報告してい

  る事実を知っていた。

 3 CIAは、以上の15分間の平均降下速度が加速せず減速している事、つまり

  CIA報告にある「KAL007便は急降下若しくは墜落状態にあった」のでは

  なくて、「機長がある程度制御した状態」にあったことを知っていた。

 4 単純計算からでも、機体が攻撃にさらされた直後の5分間以内に、それまでの

  3万5千フィートから目標の1万6千4百フィートまで急降下した事、つまり平

  均秒速61.6フィートで降下したことがわかる。次の4分間の高度1万640

  0フィートから5000フィートまでの平均降下速度は秒速47.9フィートだ

  った。そして最終的に(攻撃後、レーダーに捕捉追跡された12分間の内の)最

  後の3分間の平均降下速度は秒速22.2フィートだった。

 

 以上のことから得られた結論は、機体が平均速度を減速して下降していた、
と云う事だっ
た。この結論は、機体が制御不能になって海面に激突したとする考えとは絶対に相いれな い。航空学の専門家によれば、3万5千フィートからのボーイング747機の規定降下時間 はおよそ15分、一方制御不能の機体が墜落する際は二分間を要さないという。

 

 5 CIAは、ソ連軍の攻撃機が「参照地点周回飛行」をしていた事実(交信)を

  傍受していた。その為、攻撃後4時間以内にソ連の捜索救助活動が実行され、米

  国人乗客が含まれる民間航空機を沈没させた事を攻撃機のパイロット等は承知し

  ていた。もしも民間機が不明地点で会場に墜落した場合、初期段階での救助活動

  はありえない。ソ連側は民間機の着水地点をあらかじめ知っていたからに他なら

  ない。

 

 報告書には当然、起こりうる疑問があげてある。ソ連戦闘機のパイロット等は米軍機R Cー135だと信じていた「撃墜機」の乗客の国籍をどんな方法で確認したのか。
この疑問
に対する答は直ちに与えられている。
それは、ソ連救助艇は機体が破損した状態で海上に着
水した民間機の救命ボートから乗客を救助する際に無線連絡を送っており、その緊急連絡を ソ連戦闘機のパイロット等が傍受していたからだ、というのが答になっている。

 

 6 CIAはレーダー画面から民間機が消えると直ちにソ連軍司令官が墜落予想地

  点へ沿岸警備隊の救助艇8隻を派遣した事を知っていた。

 7 CIAは、当時のソ連最高会議議長のアンドロポフが何らかの理由により、K

  AL007便のアンカレッジ離陸以後の様子に特別な関心をもっていた事を知っ

  ていた。

 8 日本人漁師等から得た目撃証言は、民間機が墜落せず軟着水した事を明らかに

  している。

 9 CIAは事件の瞬間からソ連が大規模な偽装隠蔽工作に従事していた事を知っ

  ていた。ソ連が捜査活動をどこで実行しているのかも知っていた。

   その一方でソ連は同時に墜落予想地点に関して偽りの座標を公式発表した。加

  えて”おとり”の「波動音発生装置」を墜落機の実際の水没地点から約1000

  キロメートル離れた公海海域の深海に設置して、米国と日本の捜査隊を欺いた。

 10 機体と遺骸が不明な点をどう説明するのか。
  当時は比較対照になる航空機事故

  がなかったせいもあったが、1985年と87年には似たような事故があった。

   両方とも太平洋上空でボーイング747型機を爆発して、乗員、乗客全員が死

  亡した。およそ1キロメートルの深海に残骸は沈んだものの、フライト・レコー

  ダーは数日内に回収され、数え切れない数の荷物や機体破片や遺体も回収されて

  いる。

 

 CIAがソ連側に騙されていた事に気付いたのは、1991年イズベスチヤ紙の記事が掲 載された後だった、とシフリン等はいう。

 

 

●「真相」をつくる人々

 米国大統領が事件発生から20時間も過ぎてから知ったその異常さにCIAは注目してい る。生情報がワシントンに届いたのは、事件後4時間を経過していたという。しかもその第 1報は取り消され、30分後に再発行された。だがその再発行時には、元の生情報に細工が 施されていた。その細工は事件後の11日まで続けられていた。

 シフリンらは、事件1ヶ月半後の「改変」に注目した。その改変が事件全体に重要な役割 を果たしたと疑った。CIA報告書の指摘によれば、1983年9月3日に米国国家安全保 障局(NSA)は「最終的」と題した報告書を纏めたものの、その報告書の内容は読むに耐 えないものだという。

 NSA報告書では、攻撃されて被弾4分後のKAL機の高度は500メートルだったと書 かれていた。実際には5000メートルだから「0」がミスプリントされたといってもよ い。だが、本当にその数字が正しいのならば、平均降下速度は制御不能状態下での墜落状態 に近い。ところがもしもそうだとすれば、機体は最初の4分間に急速降下を行った後、更に 8分間にわたって空中にあったとする確定事実に矛盾してしまう。

 なんおことはない、この「500メートル」は1ヶ月も後になって訂正される。CIAは その秘密報告書の中で「我々が証拠の重要性は無知だったのか、それともCIAが過ちの重 大性に無頓着だったか、そのどちらかだった」とするくだりをシフリン等は紹介して、CIAを無能機関呼ばわりしている。

 更に「我々CIAは1983年9月にソ連が実行した欺瞞に関して強力な証拠をもってい たが、その偽装シナリオの重要性を見抜けなかった」と反省する記述をシフリンは紹介して いる。CIAはようやくソ連側の計略に気付くまでに一ヶ月を要した。CIAはソ連のレー ダーを追跡する米軍の追跡レーダーと、日本の自衛隊稚内基地が備えた追跡レーダーのデー タを分析して、正確な地理座標を求めている。更に米軍は、偵察衛星画像も偵察機の画像も 遠隔水中ソナーなども一切活用しなかったとCIAは述べている。

 米国務省は、事件に関する手出しを一切禁じた。CIAがした事は「国務省が何もする な」と命じた事を報告書にそう書くことだけだった。あらゆる秘密情報を活用出来る筈の シュルツ国務長官は、一言「KAL機搭乗者は全員死亡した」と述べるに留めていた。その 言葉を覆す証拠事実の山の中にシュルツは埋もれていたのに、とシフリンは悔しがる。CIA報告書は、ソ連に完全にしてやられた米国情報部の大ミスを報告書の中で認めていた。

 シフリン等は、92年夏のCIA報告書(非公開)でようやく認めたシフリン等の調査結 果よりも、国務省がソ連を信用してきた不思議な態度に首をひねる。シフリン等は、米国国 務省の態度から、CIAがこれまで収集してきたソ連の欺瞞や虚偽を、米国の高レベルの 人々が悉く握りつぶしてきた事を訴えている。シフリン等は、CIA報告書の文面をそのま ま次のように紹介している。

  米国情報部がソ連のKAL007に対する欺瞞についての情報部自身の証拠を

 考慮乃至は理解する事に失敗した理由は、米国情報部が1969年?83年まで

 の時期を通じて軍備縮小条約に関するソ連の欺瞞と違反について増大する一方の

 証拠を徹底的に報告分析することを一貫して拒絶してきたからである。米国情報

 部とりわけCIA内部には、軍縮に関するソ連の欺瞞と批判の証拠及び分析を「

 差し控え」たり禁止したりする特有の風潮があった。1970年代と83年まで

 の時期を通じて米国情報部の内部には、ソ連は重大な事柄について大掛かりな欺

 瞞工作など出来ないし、軍縮条約の交渉でも確かに欺いたり隠したりしていない、

 とする考え方が支配的だったのである。

 

 CIAの「事なかれ主義のサラリーマン根性」が頑だとシフリン等は嘆く。解雇を恐れて 真実追求を捨てるとは何事かと罵り、天を仰ぐ。CIA自身が報告書の中で自己批判してい るようでは処置無しなのだろう。

 ソ連の欺瞞を認めようとしないCIA自身の偏向と近視眼性が原因で、CIAは独自で集 めた証拠の重要性を理解出来なかった。

 

 こんな調子でCIAが「自己批判」しているのだから仕末が悪い、とシフリン等を嘆く。 

 

 

●ゴルバチョフの沈黙、シュルツの命令

 CIA報告書がミハイル・ゴルバチョフの沈黙を指摘している点にもシフリン等は言及し ている。事件発生の1983年9月に共産党政治局員として将来を嘱望されて登場したゴル バチョフが、政治局会議の場でこの事件の全てを知り尽くしていながら、沈黙を決め込ん で、今日に至るのを許すべきではないというのだ。

  ユーリー・アンドロポフが最高指導者に仕立て上げようとしていた傑物ゴルバチョフ は、  ソ連指導部の最有力幹部として大韓航空機事件に対してなすべき事をなにもしていない。

 

 シフリン等は、自分達の調査結論をCIAの調査結果と比較検討した結果、CIAから完 全に指示された出来映えだと、自らの調査結論に自信満々である。証拠の詳細が次々と紹介 されていった。

 

 1 ソ連潜水夫は、無傷のボーイング747機体内部からボイス・レコーダーを二   基   回収した。機内には遺体、荷物はなかったと証言した[国家特別秘密委員会(委員   長V・バレインコフ将軍)発行の秘密報告書の一部から]。更にこの情報はイズベス チャ紙とCIA報告書が掲載した。

 2 ボイス・レコーダー回収船に同乗した国家調査委員会複数の証言。ルベルツィの ERAT研究所で設計された特殊ゴム袋(大韓航空機の沈没現場でボイス・レコー

ダーを海水と一緒に回収した装置)に関する詳細な情報。ボイス・レコーダーから

回収されたテープの解読作業に当たったルベルツィの専門家等の名前(CIA報告

書も確認している)。

 3 ボイス・レコーダーの一基に「ハミルトン補聴器」の商標があり、それをボーイグ社に照会確認した。

 4 事件当日の現場目撃談話をネブェルスク(樺太)の漁師、日本人漁師等から直接 入手した。「着水した機体から乗客が救助された」とする漁師等の談話(第1次情

報源)は、リイズコブ隊長(本土側のザブイエトリイリィチャ村にあるレーダー基

地にあるソ連防空隊将校)、及びオルガコフ元帥とウァレンコフ将軍の側近数名の

目撃証言(漁師から聞いた第二次情報源に相当する)。これらの証言をCIAは完

全無比の正確さ、を認めた。

 5 浮上(浮遊)中の機体を撮影した写真がある。ソ連の飛行機から撮影されたもの とされている。CIAはその写真が航空機でなくヘリコブターから撮影したもので、 747機体をもっと深い海底に沈める為に曳航する過程を撮影したとしている。

 6 乗客乗員はソ連の特別秘密収容所に送られ、子供らのみ孤児院に送られた模様。  それらを指揮したのはロマネンコ将軍。将軍はこの業績で駐東ベルリンソ連大使館 付き陸軍武官に栄転、その他ではからずも「自殺」。死亡事実は、ソ連の新聞コム ソモルスカヤ・プラウダが確認した。

 

 正義の追跡調査団シフリン等は、繰り返しソ連の欺瞞工作を指摘する一方で、シフリン等 の調査結果がCIAの調査結果と一致している事実を訴えている。加えて、CIA報告書に ある「生存可能者の帰還の為の外交努力の必要がある」と説く点を支持しつづけている。

 その反面で、CIAが無視している事実をも合わせて指摘する。その事実とはーー

 1 C・K・スノウ氏(大韓航空アメリカ地区事務所所長・在ロサンゼルス)が、事

故の数時間後にかける電話は、マクドナルド下院議員の広報担当官トミー・トーレ

ス氏宛で、「今、ソウルの大韓航空本社から連絡があり、それによると在韓米国大

使館より、韓国政府、外務大臣等に対して大韓機が樺太に着陸したというものだ」

と知らせている。

トミー・トーレス氏は更に別な知らせをアルブィル・ウィルヘルム氏から今届い

た知らせによれば、日本政府の航空交通部民間航空課のタカノ(高野?)氏から次

のように知らされたと前置きし、日本の航空自衛隊は北海道の基地レーダーによっ

て大韓航空機のソ連領樺太への着陸を追跡した事を確認している、と。その便の名

簿でマクドナルド下院議員の搭乗が確認されている、と。

 2 大韓機007便のチェン・ブェ・イン機長は洋上に着水して90分後に日本の成 田空港に無線連絡を行って、不時着の事実を確認した。

 3 米国太平洋艦隊の救助船は、大韓機の緊急事態をキャッチして、墜落予想地点に 向かったが、その数時間後にシュルツ国務長官からの命令で救助活動を断念して帰

還させられた。中止命令は全く意味不明の理由によるものだった。

 4 007便の航空路逸脱理由の調査をはじめたアンカレッジのジェイムス・ミケラ ンジェロ氏の活動を米国国務省は中止させた。その理由は、調査は国務省の管轄に

あるとするものだったが、その後になっても国務省が調査した形跡は全く無い。

 5 事故直後、樺太のソ連軍ラジオ局は大韓機が機内に用意した乗客の為の音楽テー プと同じテープを放送した(イズベスチャ紙)。

 6 ボイス・レコーダーを回収した潜水夫らは、機内の座席ベルトが締められていな い事に不審を抱いていた。

 7 乗客の所持品を整理した軍の将校を取材したイズベスチャ紙の記者は、軍人等の 言葉「後で処理しなければならなかった物品は、全て国際線旅客機ならどの機も積

んでいるようなガラクタばかりだった」、を聞かされた。

 

どうやら、KGBはマクドナルド議員の完全尋問を目論んでいて、議員を解放する意志が 全くない。その為に他の乗客も解放するわけにはいかなかったのだ。

シフリン等はそう結論づけている。

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Author:honeycreeper
月の物性
 ・ 太陽の直径約13万kmに対して、月の直径は400分の1の3,476km、地球の直径約12,742kmの約4分の1。
 ・ 地球から太陽までの距離1億5000万kmに対して、地球から月までの距離は、400分の1の38万4000km。
 ・ 地球にはいつも同じ方向を向けている(公転周期=1恒星月=約27.32日)。
 ・ 裏側の方が膨らんでいる。地形も複雑。
 ・ クレーターと海の成因からすれば、表も裏も同じような地形になるはず。
 ・ しかし、実際には、月の海は表側に集中し、クレーターは裏側に多い。
 ・ 裏の地殻が表よりも40~50kmも厚い。
 ・ 月着陸船等の数回の衝突実験で、月面は約一時間から3時間も振動しつづけ「鐘のように鳴り響いた」。
 ・ 小さな振幅から次第に大きくなってピークを迎え、そのピークが長く続いた後徐々に減衰していくという、地球の地震のパターンとは全く違っていた。
 ・ 地球の地震波はせいぜい数10秒。月面の内部には、地下数十kmのところから大きな空洞になっていることが推定される。
 ・ 月の岩石は約53億年前~70億年以上、アポロ17号での石は、約200億年前のもので、約46億年前に誕生した地球よりも古い。
 ・ 月は、地球が誕生する46億年以前から銀河系宇宙に存在していた古い惑星。
 ・ 月の表面の岩石の密度は2.96で、地球の表面の平均密度2.27より重い。月全体では3.34、で地球全体での5.52の6割しかない。
 ・ 月には高温の核は存在せず、過去においても強力な磁場が存在した形跡がない。
   月の岩石には36ガンマという強い化石磁場が含まれている。
 ・ 地表1,5m以上ドリルで孔をあけられなかった。NASAの科学者は「月は内核と外面が裏返しになっているようだ」と述べる。
 ・ 月の内部が空洞になっていることから月には磁場がない。探査機でも確認。
 ・ 月の内部は空洞であるため重心がない。
 ・ 「月の外郭は二重構造になっている。外側の第一外郭は素石殻。 内側の第二外郭は人工的に作られた堅固な金属殻で、海の部分は第一外郭が極めて薄いか、まったくない場所。 隕石の衝突によって第一外郭が破損したので、第二外郭(船体)を強化するために、耐熱性金属成分を大量に含む溶岩状物質を人工的に作り、破損箇所に注ぎ込んだ。その結果できあがったのが海である」という説がある。
 ・ 水蒸気が月の深部から漏れ出ているのを検出。
 ・ ヴァシンとシュシェルバコフは、月の内部に「直径約3,300kmの別の天体があり、その表面に諸施設が配され、この内部球体と外郭の間には約43kmに及ぶ空洞部があり、そこに生命維持用のガスが蓄えられている」と言っている。

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