真実はどこに、、、嘘がまかり通るこの世の中!真実を知りたいと思うのは当然だ!

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イルミナティー陰謀論を唱える人々、~○×▲!

世界を支配しているのは、ユダヤの国際金融資本で

ユダヤの陰謀がー○×▲ーーと思っている人!

そう触れ回っている、どこぞのUNO先生とか、、、

もと4BUSUの記者さんとか、が言っている事、

信じてる人、

過去の記事ですが、、、これ読んでみて↓


オルタナティブ通信より、、、
~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本におけるロスチャイルドの手先達


 米国ブッシュ政権も終わりに近づき、ブッシュ大統領の最大支持基盤であったキリスト教原理主義教会の内部で、分裂抗争が激化しつつある。「日本人、黒人等々と言った有色人種は劣った人種であり、核戦争で絶滅させよ」と強硬に主張する、このキリスト教原理主義教会の内部では、右派と極右派が、過激な「内ゲバ」を繰り返して来た。

それが、現在のイスラエルのガザ進撃を巡り、再び噴出して来た。

 元々、キリスト教徒「のみ」が救われると考える、この排他的な宗派では、ユダヤ教徒=イスラエルは「邪教」でしか無かった。
ユダヤ教徒はキリスト教に改悛する事によってのみ、救われる事になる。そして、
その救いの時=神の再臨の時は、核戦争による人類絶滅の瞬間に「やって来る」と言うのが、このキリスト教原理主義教会の持論である。

そのため神の再臨=神の国の到来を待望する、この米国最大の宗教組織は「核戦争によって人類が絶滅する事」を待望する。この宗教的情熱が米国の軍事産業、核兵器産業と結び付く時、米国の最大産業である軍事産業の「経済的支援」によって、この宗教は「世俗的な最大宗教勢力、政治勢力」になる事が可能となった。
世界各地で戦争が起こり、兵器販売の売り上げが伸び、第三次世界大戦に近づく事、世界各地で核兵器販売が伸び、核戦争が近づく事は、「軍事産業の利益であり、同時にキリスト教原理主義教会の待望する神の再来のための利益」となる。

このキリスト教原理主義教会は軍事産業からの寄付金で、TVに多数の宣教師を登場させCMを流し、全米各地の学校に寄付を行い、各地域に豪華な教会を建設し信者を獲得してきた。アメリカ大統領の就任式では、このキリスト教原理主義教会の宣教師が新大統領に宣誓を行わせ、聖書に「手を置かせる」。

現在のイラク戦争の計画を立案したブッシュの国防政策会議議長リチャード・パールが、このキリスト教原理主義教会の「政治部」の幹部であり、同時に、核ミサイルの最大手メーカー・レイセオン社の「ミサイル販売営業担当者」であった。パールは政界に入る直前まで、世界各地で核ミサイルの販売営業を行っていた。ニックネームは「ミスターミサイル」である。このレイセオンの重役がチェイニー副大統領である。

こうした人事に、キリスト教原理主義教会と核兵器産業、そして米国政権の「一体化」を明確に見て取る事が出来る。



 現在、核戦争を起こす最も危険性のある地域の1つが中東である。そして、イスラエルの核準備を「拡大させ」、2009年現在のイスラエルによるガザ進撃に見られるような戦争を中東に起こすことが、軍事産業と核兵器産業の利益となる(注1)。それはキリスト教原理主義教会の待望する「世界核戦争」の開始に近づく事にもなる。元々、ユダヤ教を邪教と考えて来た、キリスト教原理主義教会の極右派(ネオコン派と人員が重なる)は、ここで軍事産業との結託による経済的利益を優先し、イスラエル支援=ユダヤ教支持派に「態度を変える」。

しかし、「原理主義的な」右派にとっては、極右派が邪教のユダヤ教を支援する事は「裏切り」となる。

米国軍事産業と結び付く事によって、ブッシュ政権と言う世俗の権力と一体化し、布教活動の資金を得、教団として拡大路線を走り、イスラエルへの支援と中東戦争の拡大を支持する現実派のキリスト教原理主義教会・極右派。
その極右派に対し「裏切り者」として怨念を持ち、「内ゲバ」を始める右派。

ここに右派と極右派の、激しい対立が始まる。

そして、イスラエルと結託した世俗権力の極右派から「排除された」キリスト教原理主義教会の右派の怨念が、「反イスラエル=反ユダヤ主義=ナチス組織の姿を取り」、全米各地のキリスト教原理主義教会の外郭団体に姿を現す。

 この外郭団体の一角を占める出版社がエミッサリー・パブリケーションズ社等であり、当然その主張は「アメリカ連邦政府はユダヤに乗っ取られた」と言う物である。
同時に、既存のカトリック等もユダヤに乗っ取られた、と言うものであり、その乗っ取りの先兵はフリーメーソン、イルミナティと言う組織である、と言う主張になる。

既存のキリスト教から「一線を画する」事で存在意義を確立してきたキリスト教原理主義教会にとって、カトリック・既存宗教は「敵イルミナティに乗っ取られた物でなくては、ならず」、
連邦政府の政権と一体化し権力を握った極右派から「脱落した自分達・右派の正当性」は、連邦政府は「ユダヤに乗っ取られた」と言う事で、「初めて手に入る」。

これが、現代における「ユダヤ陰謀論」「イルミナティ陰謀論」の出自、正体である。

日米の大手書店に並ぶ膨大な数の「ユダヤ陰謀論」書物は、しばしば最も眼に付く場所に平積みされ、ベストセラー扱いされているが、その営業力=資金力は、「人類絶滅を目的と謳うキリスト教原理主義教会・右派」の、巨大な組織力・資金力に拠っている。

このキリスト教原理主義教会・右派系「企業」エミッサリー・パブリケーションズ社の出版物ミッドナイト・メッセンジャー、ユースタス・マリンズの書籍等を、その宗教・軍事産業的な背景への「無知」から、「鵜呑みにし」、反ユダヤ主義の宣伝を行っているのが日本のイルミナティ陰謀論者である。

 こうした日本のイルミナティ陰謀論者が、イルミナティなどと主張し始める以前から、キリスト教原理主義教会の内部では、全ての戦争、災難はイルミナティという悪魔組織によって引き起こされてきたと言う「陰謀論」の主張が繰り返されてきた。既存のキリスト教は、イルミナティという悪魔組織に「乗っ取られており」、それに「汚染されていない新しい自分達の宗教団体こそが世界を救う」という「自己宣伝」である。

「人類絶滅を最終目的とするキリスト教原理主義教会」が、自己宣伝のために「開発したデマ」が、イルミナティ陰謀論であり、その極右派と右派の「内ゲバ」から生み出されてきたのが、ユダヤ陰謀論である。

 このイルミナティ陰謀論の代表的著作が、91年出版のパット・ロバートソンの「新世界秩序」等である。ロバートソンは、全ての戦争はイルミナティの陰謀であると主張し続けている。

そして、かつてアルコール中毒であった子ブッシュ大統領を更生させたキリスト教原理主義教会の宣教師が、このパット・ロバートソンである。ロバートソンは、英国金融街シティの中枢スコットランド銀行の米国代表として、90年代倒産の危機に陥ったロックフェラー=ブッシュ一族のシティバンクに対し、サウジアラビアのアルワリド王子の投資資金を呼び込み、「救済の段取り」を付けた人物として有名である。

「日本人等の有色人種は、劣った人種であり、核戦争で絶滅させるべきである」と強硬に主張するキリスト教原理主義教会が、対日・工作=イデオロギー戦争用の「武器・弾薬」として生み出し、宣伝して来たものが、イルミナティ陰謀論であり、ユダヤ陰謀論である。確信犯的に、あるいは、その無知から、この対日・絶滅戦略に「操られている愚者」が、イルミナティ陰謀論者、ユダヤ陰謀論者の正体である。



 80年代から、日本国内で「ユダヤ陰謀論」の書物を大量販売し、日本における「イルミナティ陰謀論」「ユダヤ陰謀論」の「ブームの火付け役」となり、また後続の「反ユダヤ主義による」売名・売文業者の「師匠」となって来たのが宇野正美である。

宇野は、キリスト教原理主義教会の宣教師である。

また宇野とは別に、近年、「シオン長者の議定書」を盲信し、ユダヤ陰謀論・イルミナティ陰謀論を唱える書物を出版している某宣教師も、このキリスト教原理主義教会に所属している。

 こうしたユダヤ陰謀論者達の唱える、様々な悪行を重ねて来た「ユダヤ系銀行」と称するものの、
経営者の圧倒的多数は、「実は」ユダヤ教徒ではない。具体的な人脈・人間の顔を見れば、こうしたユダヤ陰謀論のデマは、簡単に見抜く事が出来る。

宇野は1980年代から、1999年に、大恐慌が起こり、第三次世界大戦が、「ユダヤの陰謀」によって引き起こされると主張してきた。これはキリスト教原理主義教会独特の「人類終末戦争=核戦争による神の再臨」待望という「願望」から生み出されて来た。

しかし、「実際に」、1999年、第三次世界大戦が「起こったであろうか?」。

イルミナティ陰謀論者の中の、「シオン長者の議定書」を盲信するキリスト教原理主義教会の某宣教師は、コンピューターが西暦2000年に誤作動を起こすと言われた、所謂、西暦2000年問題に際し、コンピューターの誤作動によって核ミサイルが発射され、人類は滅亡の危機に立たされると主張してきた。キリスト教原理主義教会の主張する「人類終末戦争」が訪れる、と言うのである。

また、過激派のトロツキスト集団・第四インター出身で、反ユダヤ主義の書物を翻訳・量産し続ける某イルミナティ陰謀論者は、西暦2000年問題で、ユダヤの画策により社会に大混乱と騒乱が誘導されると主張して来た。

しかし、西暦2000年の到来と同時に、核ミサイルの誤射が連発されたであろうか?

核戦争が起こったであろうか?

西暦2000年に、社会に大騒乱が起こる「イルミナティの陰謀」が起こったであろうか?

起こっては、「いない」。

ここに、こうしたユダヤ陰謀論、イルミナティ陰謀論者の「デマ宣伝」の正体が、明確に現れている。

世界核戦争は、キリスト教原理主義教会の信者達の「世界核戦争が起こって欲しい」と言う、妄想の中にだけ「存在したのである」。

2009年、イルミナティ陰謀論者は、今度は「中国・ロシアの間に大戦争が起こり、そこから第三次世界大戦が起こる」と「大予言」している。

 こうしたイルミナティ陰謀論・ユダヤ陰謀論の「姿を取った」キリスト教原理主義教会の「宣伝工作に踊らされ」、ロスチャイルド、ロックフェラー系企業の具体的分析、現実の政治経済・軍事の冷静な分析を怠り、イルミナティ、ユダヤ教についての、宗教本、古文書の読解に専念して「くれれば」、ロスチャイルドも、ロックフェラーも「安泰であり、大喜び」であろう。イルミナティ陰謀論者、ユダヤ陰謀論者の正体が、ロスチャイルドの「部下」である事は、その出自がキリスト教原理主義教会にある事によっても、十分、証明される。

 なお、日本のイルミナティ陰謀論者の内部で、雑誌「フォーブス」の元記者(一種の世俗化・大衆迎合的な傾向を持つ)と、過激派出身のナチス本の翻訳・量産屋の2名が、イスラエル問題を巡り、対立を深めている。これは、世俗化の方向を選択した米国キリスト教原理主義教会の極右派と、原理主義に固執する右派との、イスラエルを巡る対立の「超縮小コピー」である。2名共、「精神科医師による投薬の効果が無くなって来た様なので、医師と病院を変える事」を、お勧めする。

患者さん、お大事に。



*注1・・・それは、軍事産業を中心に世界経済を、現在の「金融恐慌から回復させるためには、どうしても必要である」。そのために「こそ」、現在中東で戦争が起こされている。
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日韓併合時代の真実 (詳細版)

日韓併合時代の真実
かつて日本と朝鮮が手を取り合って、仲良く生きていた時代があった Chosen01.jpg

日韓併合(1910-1945年)前の朝鮮。飢えと貧困にあえぐ人々。
[1880年代のソウル南大門大通り(中心街)]
日本はこの朝鮮を建て直した。


親から聞かされた「日本人は親切だった」

 日本には今日、悲しい風説が飛び交い、それによって多くの人々が惑わされています。たとえば、
 「日本はかつて朝鮮を侵略し、朝鮮の人たちを弾圧し、虐待し、搾取し、ひどいことをした」
 といった類の風説です。学校でも習ったでしょう。あたかも事実であるかのように。
 日本は悪者だ、と教え込まれてきたのです。しかし、こうした主張が本当なのか、それとも事実とは違うのか、私たちは、当時の実体験を持つ長老たちに聞かなければなりません。
 韓国人の女性で、呉善花(お・そんふぁ)さんというかたがいます。日韓関係についてたくさんの本を書いているかたですが、彼女は小さい頃、親の世代から「日本人はとても親切な人たちだった」と聞かされていました。
 ところが、学校に入学すると、先生から、「日本人は韓国人にひどいことをした」と教わって、すさまじいばかりの反日教育を受けたのです。それでいつしか、学校で教えられるままに、「日本人は韓国人にひどいことをした」という認識が、彼女の中で常識となっていました。
 彼女はその後日本に渡って、日本で生活するようになりました。すると、かつて親から教えられた「日本人はとても親切な人たちだった」という言葉が、再びよみがえってきたのです。
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日韓併合時代中、1936年のソウル、南大門通り。

 それで彼女は、日本と韓国の歴史について、もう一度勉強し直しました。やがて彼女は、韓国で受けた反日教育というものが、非常に偏った、間違いだらけのものであることを知るようになります。そして、反日主義から抜け出したのです。
 彼女はのちに、『生活者の日本統治時代』(三交社)という本を出版しました。これは、かつて日本が朝鮮を統治した時代――つまり日韓併合の時代(一九一〇~一九四五年)を実際に体験した日本人や韓国人にインタビューして、それをまとめたものです。
 そこには、日本統治下の朝鮮を実際に体験した日韓一五人の証言が書かれています。いずれも、今はかなりお年をめされた方々ばかりです。
 彼らは貴重な証言を残してくれました。彼らの体験談を通し、あの朝鮮における日本統治時代は実際はどんなものだったか、ということが非常にはっきり見えてきます。
  私たちは彼らの証言に耳を傾けてみましょう。
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日韓併合前のソウルの様子

日本統治下の朝鮮を体験した人々の証言

 たとえば阿部元俊さんは、大正九年、三歳のときに朝鮮に渡り、そこで学生時代を過ごした人です。文字通り、日本統治下の朝鮮を体験したのですが、彼はこう言っています。
 「私が朝鮮にいたころ、日本人による朝鮮人いじめの話は、噂としてもまず聞いたことがありません。とくに、ソウル郊外の水原にいたころは、日本人が少ないからと珍しがられて、地域の人たちはみな親切にしてくれていましたしね。
 少なくとも水原では、私の知る限り、日本人と朝鮮人とが衝突したとか、喧嘩したとか、何かのトラブルがあったといった話は聞いたことがありません。……ソウルでもそうでした。……学校では、
 『ここは朝鮮だ、我々は他人の国によそからやって来て住んでいる。朝鮮人と喧嘩したり、朝鮮人をいじめたりは絶対にしてはいけない
 と盛んに言われていましたし、親からも厳しくそう言われていました。……
 私の父は医者で、貧困な農民たちの治療に励んでいましたが、それで病原菌をもらってしまいまして、腸チフスと赤痢にかかってしまいました。父が病院を辞めるときには、多くの朝鮮人が家にやって来て、『どうか辞めないで、ここにいてください』と泣いて別れを惜しんでいました。……
 戦後、日本に帰ってから、朝鮮に住んでいた日本人は朝鮮人をさかんに苦しめたという言葉を、当然のようにぶつけられましたが、自分の体験からすると、いったいそれはどういうことなのか、どう考えてもわかりません。
 喧嘩ということだけでなくて、問題になるようないじめとか、差別とか、一般生活者の間ではほとんどなかったということを、私は自分自身の実体験から自信をもって言うことができます

 このように阿部さんは、一般庶民のレベルでは朝鮮人と日本人は仲良くやっていたと、証言しています。今日、韓国の学校教育では、
 「日帝は、全国いたるところで韓民族に対する徹底的な弾圧と搾取を行ない、支配体制の確立に力を注いだ」
 「日帝の弾圧に苦しめられたわが韓民族は、光復(戦後の解放)を得るまでの間、植民地政策に対して自主救国運動を展開した」
 等と教えられています。このようなことを教えられると、日本人はまるで朝鮮でヤクザのようにふるまい、日本人は朝鮮人を虐待し、両者は至る所で非常に仲が悪かったような感じですね。しかし、実際に朝鮮における日本統治時代を体験した人々に聞くと、まったく違う様子だったのです。

 たとえば、生まれも育ちも朝鮮の新義州(今日の北朝鮮北部)という林健一さんも、こう語っています。
 「日本人による朝鮮人差別ということは、まったくありませんでした。学校で生徒同士は完全に対等で、上級生の朝鮮人が下級生の日本人を呼び寄せて、『お前は服装がなっていない』とか説教することなんかがたびたびありましたね。……
 朝鮮を出て、日本の内地に行きたいとも思いませんでした。朝鮮の人々はよかったですし、私も居心地がよかったですから。……骨をどこに埋めるかと聞かれれば、『朝鮮』と答えたものです」

 また、日本統治下のソウルで青春時代を過ごした吉田多江さんは、こう語ります。
 「近所の子どもたちともよく遊びました。私は朝鮮の女の子たちの長く束ねた髪の毛がうらやましくて、私がさわりたいと言うと、よく触らせてくれました。……何の区別もなくつき合っていました。……
 仲のよかった思い出がいっぱいで、朝鮮人と日本人の間でいじめたりいじめられたりといったことは、本当に見たことも聞いたこともありません。……朝鮮はとても治安がよくて、日本人を襲う泥棒や強盗の話など聞いたこともありません。……横暴なふるまいなど一切ありませんでした。
 戦後になって日本に送還されるときも、家財道具を盗られるなんてこともなく、こちらから知り合いの人たちにあげましたし、彼らはみな喜んで感謝の礼を表してくれました。こんな素晴らしいことって、あるでしょうか。世界に誇れることだと思います。……
 創氏改名(日本人名を名乗ること)を強制的にさせたとも言われますが、私のまわりの朝鮮人はみな終戦までずっと朝鮮名のままでした。
 戦後の韓国で言われてきた歴史には、あまりに嘘が多いと思います。……私はソウルで生まれ、成年になるまでソウルで生きてきましたが、日本人と韓国人が基本的に仲良く生きてきたことは、双方の民族にとって誇るべきことだと思っています」


朝鮮人と日本人は仲良く生きていた

 また同じく、日本による朝鮮統治時代を体験した韓国人の朴承復さんも、こう語っています。
 「学校では日本人生徒たちからも先生からも、差別されたことはありませんでした。……今でも日本人の同期生たちと会うと、彼らは韓国語で話したがります。……今なおそれほど親しくつき合っている日本人の同期生が何人もいます。
 商業学校の恩師二人は、とても尊敬できる方でした。一人は松尾先生で、国語の先生でした。この先生は韓国人、日本人にかかわりなく尊敬されていました。……
 もう一人は横尾先生です。この先生は日本人生徒たちからは嫌われていました。めちゃめちゃに厳しくて、過ちを犯せば決して許さない方でした。しかし、私はなぜか特別に可愛がってもらいました。いろいろな相談にものっていただいた大恩師です。
 卒業後、朝鮮殖産銀行に務めましたが、差別的な扱いを受けたことは全くありません。……行員家族全員で地方の温泉地へ一泊旅行に行ったりもしました。日本人も韓国人も区別なく、みんな仲良く楽しく遊んで過ごしました。
 日帝時代にそんなことあり得ないと言われるかもしれませんが、過激な人や極端な人たちの一部での喧嘩や衝突はあっても、一般の日本人と韓国人のぶつかり合いなんか、見たこともありません。…
 多くの日本人は、朝鮮人から家をちゃんと借りて住んでいました。日本人が勝手に韓国人の家を奪い取るなど、そんなことはなかったです。当時の日本人は本当に質素でした。……私自身は当時の日本人に対して悪い印象は全く持っていませんでした

 また、ソウルの京城帝国大学で学んだ韓国人の閔圭植さんは、こう語っています。
 「私は個人的には日本人と仲がよくて、悪い感情はありませんでした。日本人が韓国人に恐怖を与えたとか、韓国人が日本人に殴られたとか、何か嫌がらせをやられたとかいったことは、個人的には見たことも聞いたこともありません。……
 日本人が韓国人の家を奪って勝手に使うとか、土地や財産を搾取するとかいうことも、まったくありませんでした。神社参拝については、何かの日には学生全部が連れて行かれました。行かなくても別に厳しい文句は言われませんでしたが」

 また、日韓共同映画『愛の黙示録』を作り、三〇〇〇人の韓国人孤児を育てた日本人・田内千鶴子さんの生涯を描いた監督・金洙容さんも、こう語っています。
 「農場の日本人たちはとても勤勉でした。日本人は早くから科学的で先進的な農法を使っていました。……日本人の経営する農場には、韓国人たちもたくさん働いていました。日本人は日当をきちんと計算して渡してくれました。彼らはとても礼儀正しく、日当を支払わないようなことはまずしません

 また、新義州の中学や高校に通っていた李萬甲さんは、こう語っています。
 「朝鮮人は私一人でしたが、日本人の同級生みんなに親切にしてもらいました。……日本人の先生には立派な方がいらっしゃいました。……
 創氏改名は昭和一五年からのことでした。ほとんどの人が変えていましたね。……しかし、官庁に務める人でも、変えないからといって首になるようなことはありませんでした。……
 日本人が韓国人の生活を侵害するとか、略奪するとか、そんな類のことは日本人は全くしませんでした。日本人は法に反することをしないようにと、非常に気をつけていました
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 新興工業都市、興南(日韓併合時代、1942年)
日本人も朝鮮人も協力しあって働いていた
 
朝鮮人に助けられた思い出

 さらに、新義州の朝鮮人学校で教鞭をとっていた佐久間房子さんは、こう語ります。
 「朝鮮人家庭を訪問することはかなり多かったです。招待を受けて他の先生たちと一緒に行きますと、家族全員が出てきて丁寧にお辞儀をしてくれます。その丁重な歓待ぶりには、いつもこちらは恐縮するばかりです
 この佐久間さんは、戦後、日本へ送還されるとき、朝鮮人に助けられた経験があるといいます。
 「収容所の三畳ほどの部屋に八人で暮らしていましたが、何かのおりに朝鮮人の元従業員たちが来てくれて、そのたびに『こんな狭いところで生活しているなんて、かわいそうだ』と涙を流してくれるんです。……
 やがて送還船に乗ることができました。送還のときには、下に住んでいた朝鮮人たちが泣きながら見送ってくれました。……あの人たちの命をかけた好意は一生忘れることはできません」
 このように朝鮮人に助けられた、親切にされたという日本人も、非常に多かったのです。

 また、朝鮮総督府(日本による朝鮮統治の中心)の警察幹部だった坪井幸生さんは、かつて朝鮮で共に働いていた多くの朝鮮人と、深い友情を持ち続けているといいます。坪井さんはこう言っています。
 「彼らとは今も、本当によい気分で話ができるのです。こういう私たちの関係を、『日本は悪いことをした』式の見方をする人たちは、どうみるのでしょうか。日帝時代に、日本が朝鮮に対して悪いことをしたのであれば、警察部長をやっていた私などは、その悪の最大のものと言われるでしょう。そうであれば、彼らがつき合ったりするはずがありません」

 私たちクリスチャンが気になる神社参拝については、どうでしょうか。昭和一八年から朝鮮総督府で働いていた工藤真澄さんは、こう語っています。
 「朝鮮では神社数が圧倒的に少なくて、神社のない地域がたくさんあるわけです。学務課では、参拝するのかどうかについて議論されていましたが、強制へ向けて動くというのうようなことはありませんでした
 いずれにしても、終戦直前の一年ほどの間のことです。その一年間、ソウルでは朝鮮神宮に中学生以上が月に一度、参拝するようにしていたかもしれません。平壌では、神社参拝を義務にしたり強制したりしたことはありません」
 また、朝鮮総督府には、朝鮮人の職員も多かったといいます。工藤さんはこう語っています。
 「朝鮮人とは同じ役人として一緒にすわって仕事をしていましたし、朝鮮人課長の下に日本人課長補佐がいることもありました。そういうなかで、とくに日本人と朝鮮人がぶつかり合うようなことは見たことも聞いたこともありません。……日本人が特権的に振る舞える条件など全くありませんでした」

 また日本統治時代、ソウルの京城帝国大学で学んだ吉田道弘さんは、こう語ります。
 「私は第一五回の卒業生で、予科のときのクラスには日本人が二五人、朝鮮人が一〇人いました。同級生の一人に金永善がいました。彼とはとくに仲がよかったです。……
 金永善は戦後、国会議員になりましたが、李承晩政権の反日政策に反発して、野党にあり続けました。彼は与党政権から弾圧を受けて、監獄にまで入れられたんですが、田中総理がお願いして出ることができました。彼はのちに駐日大使となって、日本に派遣されました」

 
日本人は不法なことをしないよう気づかっていた

 さらに、一番始めに述べました阿部元俊さんは、従軍慰安婦問題に関する質問に、こう答えています。
 「日本人が朝鮮の田舎に行って、若い娘たちを奪ってきたと言われますね。そんなことはあり得ないです。もしそんなことをしたら誘拐犯ですし、懲役刑を受けることになります。いや、法律の問題以前に、村の人たちにめちゃめちゃにやられてしまいますよ。……
 またそんなことがあれば、必ず私の耳にも入ってきたはずです。でも、そんな話も噂も一度も聞いたことがありません。これはね、当時朝鮮に住んでいた日本人の名誉にもかかわることです。……
 警察署長も朝鮮人でしたし、裁判所の判事、検事などにも朝鮮人がいました。朝鮮総督府では、局長、部長、課長にも朝鮮人がいました。もちろん警察官は、朝鮮人だろうと日本人だろうと同じ権限を持っていました。
 そういう状況下で女狩りが堂々と行なわれ、一人として問題にする者がいなかったなんて、あり得ないことです。全人口の一%にすぎない日本人が、そんなに悪いことをして安全に生きられたわけがないんです
 阿部さんは、従軍慰安婦問題というのは、戦後になされた歴史捏造にすぎないと断言しているわけです。阿部さんはまた、戦時中の徴兵についてはこう語りました。
 「昭和一八年に、学徒動員となり、日本人学生たちは強制的に呼び出されて戦地に向かいました。……そんなときでも、大部分の朝鮮人は戦地に行く必要がありませんでした。正直な話、朝鮮人がうらやましかったですよ。『これは差別じゃないか』と言ったりもしたもんです。
 朝鮮人までが徴兵されるようになったのは、昭和一九年四月からのことでした。……自ら志願して戦地に行った朝鮮人たちもたくさんいました。……しかし志願ではなく戦死した人たちもいますし、……それを思うと本当に心が痛みます」

 以上、いろいろな方の証言をみてきました。いずれも、日本統治下の朝鮮を実体験された方々です。
 これらの証言からみえてくるものは、かつて日本人と朝鮮人が手を取り合って生きていた時代があった、ということです。庶民レベルでもごく普通に仲良くつき合っていました。また朝鮮総督府内でさえ、机を並べて日本人と朝鮮人が共に働いていたのです。
 日本が朝鮮を支配した三六年間において、両者の間に若干の衝突事件はありました。しかしそれらはきわめて散発的なものでした。規模も小さいものでした。日本統治下の台湾に比べれば、朝鮮の反日運動はきわめて少なかったのです
 全体的にみれば、日本統治下の朝鮮において、日本人と朝鮮人の間には良好な関係が築かれていました。もちろん当時、日本と朝鮮は一体でしたから、戦争末期には朝鮮国内でも徴兵や徴用(労働に呼ばれること)が行なわれ、苦痛を感じた者たちも多くいました。
 しかし、それは日本人も同じだったのです。日本と朝鮮は運命共同体になっていました。
 だからこそ、朝鮮で徴兵制が敷かれる以前にも、朝鮮人の中には自ら志願して兵士となり、日本人と一緒に敵と戦おうという人たちが少なくなかったのです。その朝鮮人志願兵の倍率は、昭和一七年にはなんと採用数の六二倍にも達し、非常に狭き門でした。
 それほど多くの朝鮮人が、志願してまでも日本人と共に戦いたいと願ったのです。彼らの中には特攻隊の隊員となって散っていった人々もいました。このように朝鮮の人々と日本人が共に生きていた時代が過去にあったことを思うと、私は感無量の思いです。
 戦争末期の朝鮮は、たしかに苦しい時ではあったでしょう。しかし、日本の内地も同じでした。いや実際は、日本の内地より朝鮮のほうがはるかに恵まれていたのです。
 なぜなら日本の内地は、アメリカ軍の爆撃を受けて多くの都市が破壊されました。しかし朝鮮は、そうした攻撃を一切受けなかったからです。また、戦争末期の朝鮮の物資欠乏や苦しみでさえも、かつての李朝時代の朝鮮の悲惨さに比べれば、はるかに恵まれたものでした。
 また日本の統治がなければ、朝鮮半島は二〇世紀前半までにロシアか中国の領土となっていたでしょう。そして朝鮮民族も、朝鮮文化も消滅していたに違いないのです。
 志願兵となった朝鮮人兵士らは、そのことを理解したからこそ、日本人たちと共に戦地に赴いたのです。そうした事実を、今の韓国人はほとんど知りません。しかし私は、これは日本と朝鮮が手をたずさえ合って生きた「古き良き時代」といってもいいとさえ思っています。
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朝鮮ホテル(1940年、ソウル)
左端の女性は舞踏家・崔承喜

朝鮮のひとり立ちを助けた日本

 やがて日本が敗戦を迎え、朝鮮から日本人たちがみな去っていったとき、ひとりの人が韓国へ戻ってきました。彼の名は李承晩(イ・スンマン)。彼は、それまでハワイにいましたが、アメリカから韓国初代大統領の座を与えられ、韓国を支配するようになりました。
 もともと熱烈な反日主義者だった李承晩は、日韓併合時代中、ずっとアメリカに亡命していましたので、朝鮮における日本統治を体験していません。彼は日本統治を知らない。その彼が、韓国初代大統領の地位につくと、親日派の人々をすべて追放し、もはや反日でなければ韓国では生きられないようにしました。
 家庭でも学校でも職場でも、親日的発言はすべて禁止され、日本の悪口だけが許されるようになりました。虚偽と捏造によりゆがめられた歴史観が学校で教え込まれ、少年少女は、すさまじい反日教育の中で育てられていったたのです。
 そうやって、今日の韓国の反日主義が形成されました。北朝鮮の金日成の場合も同様です。今も北朝鮮、および韓国には言論の自由はありません。そして客観的な歴史教育もないのです。
 しかし少なくとも日本人は、自分の親や、おじいさんやおばあさんの世代の歴史をきちんと知っておく必要があります。日本はなぜ朝鮮を統治したのでしょうか。
 それはごく簡単にいえば、当時の朝鮮は、国家的な破産状態にあったからです。日本はその朝鮮に、助け舟を出したのです。
 これはちょうど、生活力を失った家庭に、国が生活保護を適用することにも似ていました。生活保護法では、その家庭がひとり立ちできるまで、国が保護を加え、援助をしていきます。また職員が生活や仕事に至るまで、事細かに指導していきます。
 同様に、かつて日本は朝鮮をひとり立ちできる国家にするために、朝鮮を統治していったのです。
 これは、朝鮮と日本との間の国際的合意のもとで行なわれたことでした。また、当時の世界の多くの国々が賛成し、承認したものでした。
 そして日本は、実際に朝鮮をひとり立ちできるまでに建て直したのです。恨まれるようなことをやったわけではありません。
 また、日本が朝鮮を統治したのは、ちょうどある会社が、破産状態にあった別の会社を吸収合併して建て直すことにも似ていました。いわば日本株式会社が、破産した朝鮮株式会社を吸収合併して建て直したのです。
 こうした吸収合併の際、日本株式会社は、朝鮮株式会社を経済的に支えるだけでなく、様々な人材を送り込んで技術や経営の指導にあたります。そうやって会社を建て直していくのです。それと同様のことが、朝鮮の国家再建においても行なわれました。
 実際、たとえば朝鮮殖産銀行の頭取として働いていた有賀光豊さんも、ふだんから、
 「朝鮮は、我々がお手伝いして立派な国に育て上げ、そのうえで本来の持ち主に返すべきだ
 という信念で働いていました。息子の敏彦さんがそう述べています。朝鮮に経済的な自立をもたらし、やがてひとり立ちできるようになったら、独立国へ導いていこうと彼は願っていました。
 これは、当時朝鮮で働いていた多くの日本人たちの共通意識だったのです。韓国人の李萬甲さんも、日本統治時代を振り返ってこう語っています。
 「私が通っていた高等学校には、上村先生という日本人の先生がいらっしゃって、立派な方でした。先生は、韓国人の生徒たちが集まっている場で、よく言ってくださった言葉があります。それは、
 『君たちが独立するためには経済の力だ』
 という言葉でした」
 このように日本人は、朝鮮が力をつけて、やがて独立国家となれるよう、自立させるために働いていたのです。


真の日韓友好への道

 もちろん、日本の統治が完全だったというわけではありません。失策や失政もありました。また日本人の中には悪い人たちもいました。内地から来たといって威張っていた日本人もいなかったわけではありません。一方、朝鮮人の中にも悪い人たちもいました。
 しかし全般的にみれば、当時日本人と朝鮮人とは仲良く共に手を取り合って生きていたのです。もし歴史を虫メガネでみれば、小さな部分には、汚れもあったでしょう。けれども、私たちは全体的な姿にあらわれた良い事柄を決して忘れてはいけないのです。
 なぜ私は、こうした過去のことを長々と語ってきたのでしょうか。それは、過去について真実を知ることが、私たちの信仰生活にとっても、きわめて大切だからです。
 多くの人々が、「日本人は悪者だった」と言ってきました。教会でもそれが語られてきました。それを聞かされた私たちも、なんとなくそれを信じ込まされてきました。しかし、上に述べたように、実際にそれを体験した人々の証言によく耳を傾けることが非常に重要です。
 聖書の中にも、こう記されています。
 「昔の日々を思い出し、代々の年を思え。あなたの父に問え。彼はあなたに告げ知らせよう。長老たちに問え。彼らはあなたに話してくれよう。』」(申命記三二章七節)
 この箇所は、指導者モーセが、イスラエル民族に向かって語ったものです。
 イスラエル民族は、すでに出エジプトをし、シナイ半島の荒野を放浪していました。荒野の各地で宿営し、キャンプ生活をしていました。その生活は、決して楽なものではなく、辛いものだった。エジプトでの奴隷生活に比べれば、それははるかに良いものだったのに、ある人々は不平をこぼしていいました。
 「エジプトでは少なくとも、もっとおいしい物を食べられた。肉鍋もあったし、パンも腹一杯食べられた」
 また、こういう人々もいました。
 「モーセは、あの繁栄したエジプトから我々を連れだして、こんな荒野でのたれ死にさせようとしている。モーセは我々に悪を行なったのだ」
 彼らは、モーセは悪者だと非難したのです。しかしそのとき、モーセは皆の前に立って言ったのです。
 「あなたの父に問え。彼はあなたに告げ知らせよう。長老たちに問え。彼らはあなたに話してくれよう
 と。あなたがたは風説に惑わされてはならない。当時の実体験を持つあなたがたの父や、長老たちに話を聞きなさいと。彼らの数は今では少なくなったけれども、彼らの言う言葉に耳を傾けることが大切だと言いました。そのときに真実がわかるからです。
 真実に立つことは、信仰生活の基盤です。日本人は悪者だ、という偏った見方、間違った罪責感は、日本のリバイバル(信仰の覚醒)の妨げになることを、どうか知ってください。
 健全な罪責感は、悔改めと神への信仰に導きます。しかし間違った罪責感は、日本人を神から遠ざけます。それは私たちの観念をゆがんだものとし、健全な信仰生活を邪魔するものです。
 ましてや、クリスチャンが「日本人は朝鮮にひどいことをした」「日本人は悪者だ」と、間違った罪責感を広めてはいけません。それは自ら首を絞めるようなものです。そんなことを言い広めるクリスチャンの説くことを、誰が信じるでしょうか。
 私は自分を日韓友好論者と思っています。日本と韓国は仲良くすべきです。しかし本当の友好は、相手が言ったことをよく調べもせずに謝ることで築けるものではありません。真実の歴史を認識して初めて築けるものです。
 たとえ向こうが、「日本人はひどいことをした」と言っても、その時ろくに調べもせずに「すみませんでした」と言ってはいけないのです。たとえばみなさんは、ある日突然、あなたのもとに人が来て、
 「あなたのおじいさんは、ドロボウをしたのです。償ってください」
 と言ったとしましょう。そのとき、どうしますか。ろくに調べもせずに「すみません」と謝るでしょうか。いや、やはり、まずきちんと調べるでしょう。本当にそんなことがあったのか。日韓の関係についても、まさしくそうなのです。
Chosen06.jpg
日本は莫大なお金をつぎ込んで、朝鮮を近代国家に変えて
いった。これは朝鮮に造られた水力発電所、水豊ダム。
当時出力世界2位のダムで、朝鮮及び満州の電力をまかなった。

日本は悪者だと言うことが宣教ではない

 以前、私がこうしたことを語ると、ある日本人がかんかんに怒って、私に言ってきました。
 「悪が善を消すことはできる。しかし善は悪を消せない。日本統治時代に良いことがあったとしても、悪いことが少しでもあったならば、日本の統治は間違っていたのだ」
 しかし、私はそうは思いません。もし間違ったことがあったならば、それは個々に反省し、悔い改めればよいことです。
 私たちは全体的な見方を忘れてはいけないのです。「日本人は悪者だった」という見方は、非常に皮相的で、偏っています。私たちはそうしたレッテル張りから解放されなければなりません。
 私たちに与えられている神様からのメッセージは、「日本人よ、おまえは罪人だ」「悪者だ」ではありません。
 「日本人よ、あなたは神に愛されている」
 です。
 イエス様が人々にどのような接し方をされたかを、思い出してください。イエス様は、あの取税人のかしらザアカイに対してさえ、「おまえは罪人だ」とは一言も言われませんでした。むしろ、「この人もアブラハムの子なのだ」と言われました。神の愛の中にある人なのだと。
 またイエス様は、あの五人も夫を取り替えたサマリアの女に対して、「あなたは罪人だ」と一言も言われていません。むしろ彼女に、本当の信仰を説かれたのです。
 姦淫の現場を捕らえられて連れられてきた女に対しても、イエス様は「あなたは罪人だ」とは言われていません。むしろ「わたしは世の光です。わたしについてきなさい」と言われました。
 福音書を調べてみると、イエス様が、パリサイ派の人々や律法学者の偽善を責められたことはありました。しかし主がご自身のもとに来る人々に、
 「あなたは罪人だ」「悪者だ」
 と言われたことは一度もないことがわかります。イエス様は、そう言える立場にあるかたなのに、どんな人間に対しても、そう言うことがありませんでした。
 イエス様がある日、生まれつきの盲人の近くを通られたとき、弟子たちが質問しました。
 「イエス様、彼が盲目に生まれついたのは、彼自身が罪を犯したからですか。それとも両親が罪を犯したからですか」
 しかしイエス様は、
 「この人が罪を犯したのでも、両親でもない。神のわざがこの人に現われるためなのだ
 と言って、彼の目を開かれました。イエス様は、誰をも「あなたは罪人だ」とは言われなかったのです。
 イエス様は人々に、ただ神の愛と、真の道を説かれました。これは非常に大切な点です。もしあなたが、人々に「あなたは罪人です」「悪者です」と説くことが福音宣教だと思っているなら、それは違います。
 私たちクリスチャンにとって大切なのは、日本人に対して「日本人は罪人だ」「悪者だ」と説くことではありません。むしろ大切なのは、
 「日本人よ、あなたは神様に愛されています」
 と言うことです。神が「ご自分のひとみのように」日本を愛し、世話し、守り、日本をいつくしんでくださった事実を伝えることなのです。
久保有政著

※学び、伝道、教会活動等にご自由にお役立て下さいとの筆者のコメントにより
 出版物などになっていないので、転載させていただきました!
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honeycreeper

Author:honeycreeper
月の物性
 ・ 太陽の直径約13万kmに対して、月の直径は400分の1の3,476km、地球の直径約12,742kmの約4分の1。
 ・ 地球から太陽までの距離1億5000万kmに対して、地球から月までの距離は、400分の1の38万4000km。
 ・ 地球にはいつも同じ方向を向けている(公転周期=1恒星月=約27.32日)。
 ・ 裏側の方が膨らんでいる。地形も複雑。
 ・ クレーターと海の成因からすれば、表も裏も同じような地形になるはず。
 ・ しかし、実際には、月の海は表側に集中し、クレーターは裏側に多い。
 ・ 裏の地殻が表よりも40~50kmも厚い。
 ・ 月着陸船等の数回の衝突実験で、月面は約一時間から3時間も振動しつづけ「鐘のように鳴り響いた」。
 ・ 小さな振幅から次第に大きくなってピークを迎え、そのピークが長く続いた後徐々に減衰していくという、地球の地震のパターンとは全く違っていた。
 ・ 地球の地震波はせいぜい数10秒。月面の内部には、地下数十kmのところから大きな空洞になっていることが推定される。
 ・ 月の岩石は約53億年前~70億年以上、アポロ17号での石は、約200億年前のもので、約46億年前に誕生した地球よりも古い。
 ・ 月は、地球が誕生する46億年以前から銀河系宇宙に存在していた古い惑星。
 ・ 月の表面の岩石の密度は2.96で、地球の表面の平均密度2.27より重い。月全体では3.34、で地球全体での5.52の6割しかない。
 ・ 月には高温の核は存在せず、過去においても強力な磁場が存在した形跡がない。
   月の岩石には36ガンマという強い化石磁場が含まれている。
 ・ 地表1,5m以上ドリルで孔をあけられなかった。NASAの科学者は「月は内核と外面が裏返しになっているようだ」と述べる。
 ・ 月の内部が空洞になっていることから月には磁場がない。探査機でも確認。
 ・ 月の内部は空洞であるため重心がない。
 ・ 「月の外郭は二重構造になっている。外側の第一外郭は素石殻。 内側の第二外郭は人工的に作られた堅固な金属殻で、海の部分は第一外郭が極めて薄いか、まったくない場所。 隕石の衝突によって第一外郭が破損したので、第二外郭(船体)を強化するために、耐熱性金属成分を大量に含む溶岩状物質を人工的に作り、破損箇所に注ぎ込んだ。その結果できあがったのが海である」という説がある。
 ・ 水蒸気が月の深部から漏れ出ているのを検出。
 ・ ヴァシンとシュシェルバコフは、月の内部に「直径約3,300kmの別の天体があり、その表面に諸施設が配され、この内部球体と外郭の間には約43kmに及ぶ空洞部があり、そこに生命維持用のガスが蓄えられている」と言っている。

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